ENo.3159 イリヤ・R・ヴァヴァーナ

【side：型式SBS_00、型式LDM_01】

──我が血と苦痛を証に鍵を示せ──
──解放せよ、解放せよ、解放せよ──
──我が身を縛る呪よ、その姿を──

　──満天の星空と赤い満月。
　人も、獣も寄り付かぬ、人里離れたある場所で。
　マナは煌き歌い踊り、今か今かと神秘の完成を待っている。

　旧き詠唱＜うた＞を謳えばより濃くなるマナと、深まる術式。

　体中の血液が煮えたぎりそうな錯覚。
　眼球がこぼれ落ちそうで。
　そうして自分を見れたなら、どんなに哀れな男が映るだろう。
　あれだけの赦しと護りと絆を得た贅沢なこの身は、それでも、足の感覚を失くすほどに術式の完成に怯えている。
　
　心よ奮えろ。
　背は、充分すぎるほどに押された。
　ならば彼らに謝ることくらい、できなくてどうする。
　ずっと続けた反抗を、ここで終わらせないでどうする。

「……マスター」

　術式の影響とは別の意味で、鼓動が跳ねた。
　背後から聞こえたのは、懐かしいあの人の声。
　自分が殺して造り替えた、恩師の声だ。

「……来てくれたんですね」
　どうしようか、目を合わせられるか不安だけれど、ゆっくりと振り返る。

　『セレスタ』ではなく『ディエゴ』が。
　『カルサ』ではなく『バルトロメイ』が、そこに居た。

　ホムンクルスである彼らを従えるマスターとしては失格だが──彼らが、在りし日の魂を宿している事。それは、イリヤの心を幸福で満たしてゆく。

「良かった。これで術は成る」
「何のことか、説明が欲しいんだがな…マスター」
　警戒している『ディエゴ』に、イリヤはくす、と笑い。

「貴方に、自身の仇を討って欲しい」

　瞬間。イリヤの足元に描かれていた魔法陣が、マナの光を帯びて展開する。
「──どういう意味だ、マスター！」
「言葉どおりの意味だ。バルトロメイ、貴方も、己が仇を討ってくれ」
「……呼ぶ、ってことか。あの人を」
「──正確には、ちょっと違う、けど」
　イリヤは笑みを苦笑へ変え、左腕を見せる。
　袖のない今、剥き出しの義腕。黒き鋼鉄に奔る、無数の赤。
「覚えている？　かつて僕に、喪った左腕をくれた、先代の番人を」
　箱庭──今はアトリエ・リュキナラーラとして存在する、分割世界の小さな欠片。イリヤたちはかつて、消えゆく番人に、箱庭を維持する代わりに様々なものを与えてもらった。
　家。工房。そして、この義腕。
「先代の番人は、僕の左腕に刻まれた兄の呪いを見抜いてくれていた」
　義腕に奔る赤は、それを圧縮している証。
　いずれ呪いを其処だけに留め、義腕を造り替えることで解放されればいいと、先代がくれた優しさだ。
「けれど兄の力が上だったのか──この呪いは、こちらにも等しく顕れてね」
　言って、イリヤは右の袖を引きちぎる。
　右腕、生身の肉に、左腕と同じように赤き呪いが刻まれていた。
「──やがてこの呪縛は、手から肩へ、そして心臓あるいは脳へ至り僕を支配する。そういうモノだ」
　魔術陣がさらに展開する。複雑な紋様を描き、これ以上その呪縛を拡げまいと押し留める。
「マスター…そこまでにしとき。呪いを一点に集めたらどないなるか、アンタ解っとるはずやろ」
「解ってる」
　『バルトロメイ』の呼びかけに、しかしイリヤは笑いを消しはせず。
「アンタはホムンクルスやない。人間やで？　それが一気に呪いを活性化させたら──」
「解ってる、よ」
　その笑みを濃くして、イリヤは続け。
　左腕の義腕、仕込み刃を展開させ、己が首筋にひたりと当て──
「やめ…！」
　『ディエゴ』の制止を聞かず、それで喉を裂こうとしたが、朱の呪縛が迸り刃を弾いた。

「僕は壊れはしないし、死なない」

　…そう。これは賭でもなんでもなく、
「あの人が僕を壊さないし殺さない──」
　確信だと、イリヤは笑う。
「──だが僕はあの人の呪縛＜まもり＞を壊す」
　詠唱を一小節のみ囁くと、さらにマナの光が強く明滅した。
「…マスター」
　イリヤの身を案じてか、僅かに柔らかな声の『ディエゴ』へ、イリヤは頷き、続け、
「まだ僕は、貴方にきちんと謝れていないけれど」
　少しだけ頭を下げて。
「…力を貸してください、『教官』」　
　ゆっくりと、イリヤの髪が浅葱から闇色へと染まってゆく。それに伴い、青水晶の瞳に朱が広がり──
「……何をすればいい」
「……『シルシ』は標。自害はさしずめ、最後のセーフティてとこやろな？　そしたら焦ってあの人が介入して、もっぺん呪いを強めにかかる。そうならんよう、すればええ…そんなとこか」
　そうだよ、とイリヤの唇が告げる。
　それならば。
「単純な話や、後輩クン。マスターは中からの頑張る、俺らは外から頑張る。……いやいやいやシンプルな話やで」
「……呪縛を壊したとして。護りを無くしたマスターはどうなる」
「決まっとるやんそんな事」
　『バルトロメイ』は笑う。愛用のメイスを担ぎながら。
「まあ死ぬわなぁ」
　心のうちで、かつての故郷の聖句を捧げながら。
「せやけど俺らの仕事はマスターの守護やろ後輩クン。…死なせへんよ。死んで楽にはさせへん、詫びた後で感謝してもらわなアカンよなぁ？」
「………」
　イリヤの体に絡みつく呪縛の茨。赤黒く脈動すらする其れは、彼に似合わずおぞましく──いつかの闇を想起させる。
「……そうだな」
　このホムンクルスの身となって、意識が浮上するたび、腹立たしかった事がある。
「マスターには言わねばならない事がある」
　セレスタを通じてディエゴに怯え、手元に置いておきながら、一丁前にマスター気取りとは腹立たしい。　
「へぇ。どんなコト？」
「人と話すときは目を見て話せ。」
　手厳しいわ、と笑う『バルトロメイ』に合わせ、乾いた拍手が鳴る。

「ははは。さすがに教官だった事はあるね」
　
　イリヤ──否。イリヤの自害を鍵に発動する『もう一つの意識＜セーフティ＞』。
「あっらお久しぶりやねカーヤはん。もうかりまっか？」
「ぼちぼち、と返せばいいのかな。弟の我侭に付き合わせてすまないね、二人とも」
　イリヤの姿を借りたカーヤは、ゆるく腕を組み、見下しの視線で彼らを見つめ。
「私は確かにあの子の影を借りて介入する──ホンモノではないけれど」
　カーヤが言葉を紡ぐたび、イリヤが描いた術陣が、インクを投じたように赤黒く染まり脈動してゆく。
「──抵抗は無駄だと理解してくれないか」
「ゴメンなぁ、俺あほやから～、わからへんわ～」
「魔術は専門外でな。その程度、だからどうしたとしか言えん」
「そうか」
　ならば仕方ない、と、カーヤは笑う。
「考え直せホムンクルスども」
　描かれた術陣を反転させ、集められたマナを暴走させながら、ゆったりと手を差し伸べて。
「…自由は充分に許した。さあ、この子と共に私の元へと帰還しろ」

　しかし、

「…今のマスターはもう、アンタやないしぃ？」
「元より貴様の命令など聞く耳を持たん」

　緋と蒼のホムンクルスは、獲物の矛先をその手へ定めた。

「…残念だよ」

　黒き闇の男は、愉しそうに哂い。

《…頼むよ、二人とも》
　蠢く闇の中、意識を食われまいと抵抗しながら、白き主は従者の無事を祈り──彼らの勝利を、信じていた。

──制御術式：拘束、限定解放──
──攻撃対象：『制限・限定：解除』──
──戦術開始──

”Finche'c'e` vita， c'e` speranza.”

※Eno3159『イリヤ』には今回・次回とサブキャラ『カーヤ』が憑依しております。
が、その影響は日記と練習試合のみでメッセ＆コミュメッセには『イリヤ』で対応いたします※