ENo.3 満月の森　夜明の海　王たる者と騎士

朝、一番遅く起きるのは主だ。
それが私達に気を使わせないためなのか、或いは本気で寝ていることが好きなのかは解らない。

体を共有していた頃は一番に起きる私かフラヴが朝の様々なことを行なっていた。
洗顔、髪の手入れ、etc…化粧だけは、私達には不可能だったが。

体を分離、もとい本来の体を喚んで4人に戻った今ではそういう事の一切が必要なくなっている。
つまり、こうして私とフラヴが雁首揃えて主とシェリの寝顔を見ているのは当然の流れなのだ。

フラヴ「起きませんね……可愛いから、良いですけど」

ベルシー「そうだな。まだ時間的に余裕はある」

フラヴ「はい。まだ同行者さんたちも起きてないみたいだし」

元居た世界での癖はそうそう抜けるものでもなく、毎朝の鍛錬はやらないわけには行かなかった。
朝っぱらから平原を走り回るのはさすがに気が引ける。よって不可視術を掛けたまま二人で静かに日課を終わらせていたのだが。
日も上りきらないうちから始めていたせいかこの二人どころか誰も目を覚ましていなかった。

野営に慣れているのだろう、ファニアも、カエシスも。
此処に来て二十日も経ってはいないが寝付けない様子はない。
寝付けないと言われても、手刀を叩き込むか薬を飲ませるかしか出来ないのだが。

フラヴ「そういえばこの部屋のモデルってどこなんですか？」

ベルシー「ん……？ああ、お前たちはしっかり見たことがないのか」

フラヴ「はい。家の部屋じゃないみたいですし」

大きめのベッドが一つに鏡台一つ、申し訳程度のタンスが一つ。殺風景で必要最低限の部屋。
だが、平原のど真ん中にありながら平然と存在するこの部屋は当たり前だが普通の部屋ではない。

ベルシー「あの島にあった宿の一室だ。主が泊まっていた、な」

フラヴ「なるほど、だから独り向けなんですね」

ベルシー「ああ。全員揃った今では少し狭いが……後で頼んでみるか？」

フラヴ「床で寝るのは嫌じゃないですけど……母様とシェリを別で寝かせたいです」

元の世界の自室ならまだしも、ここのベッドで4人は無理がある。
当然のように私とフラヴは床に布団を敷き床で寝たのだが。
2人抱き合って眠る主とシェリは、シェリの長い髪を完全に敷き込んでいるため起きるのに難儀するだろう。

ベルシー「もう700年になるんだな。この部屋を最後に見てから」

フラヴ「記憶、だいぶ無くなっちゃいましたよね」

ベルシー「正確には別所に移しただけだが、すぐに思い出せないことは確かだ」

フラヴ「僕とシェリは圧縮かけてるし…大事なのは持ってますけど」

ベルシー「当時を知る者は全て亡んでいると思って間違いないほどの年月だからな。
故郷での思い出の方が大きくなるのも当たり前だろう」

……これだけ頭上で会話しても凝視されていても一向に2人は目覚めない。
眼鏡をしていない主の素顔はいつもと趣が違う。
シェリは寝る前に緩く結った髪はほどけてしまい、結局いつもと変わっていなかった。

フラヴ「……いいなぁ」

ベルシー「ん？」

フラヴ「なんでもないです。父様、そろそろ朝ご飯の準備の時間じゃないですか？」

ベルシー「そうだな。準備に掛かろう」

厨房は女人禁制、などとは言わないが基本的に私しか入らない。
フラヴも理解している。手伝いは不要なのだと。

手伝いより護衛を。
それが『私達』の常識だった。

――――――

父様が部屋を出て暫くすると、まずシェリがもぞもぞしだした。
壁際にシェリ（ベッドから落ちないようにと母様の配慮だ）、手前に母様が寝ている。
だからうっすら目を開けたのがよく見えた。
起き上がり、口を開けて。

シェリ「ん…おはよう、おにい―――――」

ぐんっ。そんな感じで倒れ込んだ。
ボーッと髪を眺め、少しして2人の体の下にあることに気づいたらしい。

フラヴ「おはよう、シェリ。まず母様を起こさないとね」

シェリ「んんぅ…ママー…起きてぇ……」

シェリが手を伸ばし母様の頬をつついた。柔らかく指先が沈んでいく。
僕も便乗してみた。左手をのばして、ぷに、ぷに。

母様は昨日よっぽど疲れていたのかなかなか起きる様子がない。
仕方なく肩に手をやって揺さぶると、やっと目蓋がぴくりと震えた。

リンディ「……ふあ」

フラヴ「おはようございます、母様」

シェリ「おはようママ！」

器用に寝転んだまま母様は手を伸ばして眼鏡をかける。
赤と星と緑の瞳はレンズに隠れてしまった。母様の裸眼は結構貴重だ。

寝返りを打ち、サイドテーブルに手をかけ、横になった状態からするりと布団から抜け出す。
直立して癖のついた髪を手櫛で解かして、ぽかりと欠伸を一つ。

リンディ「おはよう。2人とも」

フラヴ「はい。おはようございます。朝食はもうすぐです」

シェリ「準備しよー」

当たり前なんだけど、2人はネグリジェのような物を着ている。寝るときまで鎧は着ていない。
僕は一応、男なのに、家族だからか2人は気にしていなかった。
普通に2人の支度を手伝う僕も僕だというのは否定できない。
とりあえず髪の長いシェリが鏡台を使い、サイドテーブルに鏡を置いて僕が母様の髪を整える。

高級な櫛。王宮の薔薇の木と『その為だけに』育てられたボア？の毛が使ってあるんだそうだ。
母様の銀色の髪は柔らかいのにしっかりしてて、そのせいか癖がつきやすくて跳ねやすいらしい。
跳ねて口に飛び込んでくるからもみあげを伸ばしたんだけど……そうしたら今度は頭頂部が跳ねるようになったとか。

そのせいじゃないと思うけど、髪に関する用品はすごくこだわってた。
……母様じゃなくて、周りの人達が。

フラヴ「こんなところかな？母様、痒いとことかあります？」

リンディ「ん、ないわ。ありがとうフラヴ」

シェリ「こっちもおしまい！」

リンディ「シェリはほんと真っ直ぐで手入れが早いわね」

フラヴ「僕も結構時間かかるのに…」

駆け寄ってきたシェリの腰まである長い寄る色の髪をちょいちょいと弄って母様は笑う。
直毛は父様譲り、だと思うけど色は父様でも母様とも似てない。眼の色も。
僕だって癖毛は母様譲りだけど淡い金茶色は両親のどっちでもないし、赤と緑のオッドアイなんて普通は生まれないだろうけど。

それでも僕たちは家族。
今までずっとそうだったし、これからもずっとそうなんだと思う。

リンディ「あ、いい匂いがしてきた」

シェリ「パパが呼びに来るのと私たちが行くのどっちが早いかな？」

リンディ「　　　　　はい、準備完了。行きましょう」

フラヴ「着替え用の魔法ってほんと便利ですね」

リンディ「元々は非常事態に備えるための魔法だもの。さ、ご飯が冷める前に」

シェリ「私いっちばーん！」

フラヴ「あ、シェリ！」

リンディ「朝から元気なのはいいことなの」

シェリが勢い良く扉を開け放った。繋がるのは宿屋の廊下じゃなくそのまま砂地―――でもなく食堂。
もしくはキッチン・ダイニング？奥では父様が丁度エプロンを外したところだった。
鎧の上にエプロン着てるのはシュールだと思う。すごく。

父様はドアの音で気づいてたみたいでふっと笑った。

ベルシー「おはようございます、主。シェリも」

リンディ「おはようベルシー」

シェリ「おはようパパ！」

フラヴ「椅子引きますね」

ローストチキンサンドにコーンポタージュスープ。飲み物はオレンジジュースとコーヒーとカフェオレと紅茶。
母様、シェリ、僕、父様の順に席について手を合わせた。この『手を合わせる』習慣は母様が他の世界で見たものらしい。
「いただきます」なんて『知識』としてあったから、ない場所もあるのが信じられなかったけど。

リンディ「いただきます」

ベルシー「どうぞ」

シェリ「いただきまーすっ」

フラヴ「頂きます」

思い思いに手を伸ばしてかぶりつく。この世界の栄養じゃなくて、心を満たすための食事。
マナーにこだわらず囚われず美味しく楽しく。
つまり、話が弾んでしまうのも仕方がないというところで。

ベルシー「魔王軍が解散するらしいですね」

リンディ「そうらしいわね。といっても自分の世界をほっぽり出して来てるんだから、『働け！』ってことなんでしょう」

ベルシー「……主がそれを言いますか」

フラヴ「仕事全部、押し付けて出てきましたよね」

多分今頃、軍団長さんとか族院の人たちとか大忙しなんだろうなぁ。
母様は仕事を翌日まで残さない人だけど、繰り越さなくても山のように書類が置いてあるのをよく見かけたから。

シェリ「それでもみんな大人しく従っちゃうのはさすがママ！カリスマだねっ」

ベルシー「シェリ、それは『黙らなければ実力行使』という脅しだ」

リンディ「ひどい言い草なの。そもそも『王城まで到達しそう』って部下の怠慢じゃない」

フラヴ「わざと通さない限りどう考えても関所越えられないですよね……」

ベルシー「それはそうだが、そもそも実力ある者が少ない」

リンディ「怪しげなお告げとかを信じてくる若者とか、体の良い暗殺がわりに送られてくる王子とかね」

お告げっていうのは低級霊の悪戯だとかなんとか。
神託を貰う儀式以外でのお告げは信用しちゃいけないっていうのは常識だって、普通の人にはあまり知れてないらしいけど。

フラヴ「僕達の世界で実力で王宮まで辿り着いた人って居るんですか？」

リンディ「居たわよ、何人か…何組か？ね。聞きたい？」

くす。微笑みの形に母様の唇が弧を描いた。